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練馬区大泉学園町 整体 指圧マッサージ 廣治療院

廣治療院です!からだも こころも 元気に!

大泉学園町の廣治療院です あれから

廣治療院のホームページはこちら!http://hirochiryoin.webnode.jp/

 

3・11突然に

それは先月 十一日 

午前中に届いた 実家の姉からのメールで始まりました

母が倒れ 緊急入院したとのこと

午後になって状態もまだよくわからずに 弟と二人 

急ぎ実家へと駆けつけました

 

その母の容態も 未だ不安定なまま 

相次いで 

父の体にも 異変が現れ 

あわてて検査 

病気はすでに かなり進行した状態であることがわかり

私たち三人は 愕然とします

 

にわかには信じがたいような 

突然に 両親共に病に臥すという現実

高齢のため すでに治癒を期待できるようなものではなく

残された寿命に対して 

少しでもQOLを上げることができるであろう処置を 最低限施してもらい

あとは 本人の気力や免疫によって 

どこまで どう生き延びられるのか に任せる

いずれにせよ 

残り時間は もう限られていることがわかりました

 

厳しい状況のなかでも 母の方は徐々に安定に向かっていきます

リハビリも始まりました

 

しかし いくら高齢とは言っても 

父には 病と向き合って治療に取り組んでもらうため

やんわりではありましたが 

余命についてのお話も 主治医の方からして頂きました

 

姉 弟は母の病院通い これからのための介護認定の手筈など 忙しく動き

車を運転出来ない私は

長いこと 思うように片付けや掃除も出来ていなかったと思しき 乱雑な実家を

何事にも細かい父の 気に障らない程度に片付けながら

入院中の母を案じながらも 今度は自分自身が

突然に大病を宣告され 余命を告げられ 

自らの残された命と 否応なく向き合わざるを得なくなった父と二人きり 

ずっとずっと 一緒に過ごすことになりました

 

人生の終着点

命の終わりを見据える ということは

誰にとっても 簡単なことではありません

 

私は父母にとって 女 女 と続いた二番目の 

残念な味噌っかすの娘ですので

まあまあ 気楽に育てられた と言っていいでしょう

姉ほど手をかけられもせず 厳しくされることもなく

他の二人のように

根性が足りない などと叱咤されるでもなく

のんびりと 祖母に任せられて育ちます

 

なんとなく体が弱い幼少期を経て 不登校にもなり

青春時代を病気で過ごし 長く入院生活を繰り返したりした

何かと心配ばかりかけた 一番親不孝な子供です

元気なら良し といった緩い気持ちで 

常に接してくれていたように思います

 

そんな私にだけ どうしてか 

いろんな話を気軽にできるらしく

父と私は 思いつくまま 時間を気にしないで

沢山の話をしました

 

何度となく繰り返される父お得意の いつものストーリーも 

何度も何度も 繰り返しの都度

まるでそれが 今初めてであるかのように 

真剣に聞きました

 

三人いる子供の順番を忘れ 

私はいつのまにか末っ子になっていたり

どこか記憶と違う ちぐはぐで いい加減な話も 

うんうん と 力強く頷きながら 

ゆっくりと もらさず聞きました

 

一ヵ月をかけて 

父はようやく ほんの少しですが

母の病状 自らの病を 

現実として受け止めてくれるようになりました

 

不穏な会話が多く 

私にはご飯も喉を通らなくなるような すごい内容の話を繰り返した

気持ちが荒れていた最初の頃に比べると 

自分の入院の前には

すっかり 好々爺とでも言いたいような 

何となく 私の知らない父の顔になってきて

入院した時には

担当の若い男性の看護師さんに

笑顔が素敵ですね と 笑顔を褒められ

またまた 満面の笑み

 

それは 不安のあまり 気弱になった父が 

私たちのために頑張って見せてくれた 終幕の笑顔

 

そう考えると 

胸に来るものがあり

切なく やるせなく

また 反面 

病状を少しでも良い方に考えるため 

自分の余命について 長く引き伸ばしをして捉えるための問答が 

私に繰り返し 向けられます

 

私は 現実を 小さく切り刻み

その一欠片を 

一つずつ丁寧に

甘い甘いオブラートに 幾重にも包み

飲み込みやすくするかのようにして 

父からの 一問一問に 答えました

我ながら 上手に答えを出せたのだろうと思います

自分が病の時に 似たようなことを 

主治医を試すように 繰り返した記憶がありました

今私が 大変に健康であることが

父には 一つの大きな希望であったのかも知れません

 

末期の水

入院の前 長い間続けていた断酒を解き

父は飲んべいの息子のためだ と日本酒を選び 弟の口車に乗った振りをして 

自分も一口「舐めて」みるということになりました

母の病院に行った弟が戻るまで 

二人きりの酒盛り

 

生本マグロ かつお ホタテの三種を切り 刺身皿に美しく盛り

それを食べてもらいながら 和牛のミニステーキを二切れ 

固いものが飲み込めない父のために

柔らかく焼こうとして

刺身の前に まずは一献 

 

その瞬間

私は小料理屋の女将さんよろしく 父をお客さんに仕立て

「ごっこ」をしてみようと思いつき

 

さあさ 一杯

 

私も頂きます かんぱ~い!

 

威勢良く 声をかけました

 

飲みたくて止めていた父と 飲めない娘の芝居がかった乾杯

おかしくて 恥ずかしくて 

しばらく笑いが止まりません

乾杯は 病気発覚から何度かは 

景気付け と言って二人で

ノンアルコールビールと 梅炭酸水でしていました

本物のお酒は 今回 これが初めて

 

失ったもの 

それはそれとして

前を向いて生きる 

 

父と娘の 二人きりの宴は 笑って笑って 

好きなものだけ食べ 日本酒をちびちびやり 

語っては また笑って

酒を褒め 魚を褒め 肉を褒め 

家族の一人一人を褒め

水や山 天の恵みを褒め

笑顔のなかに 終わりました

 

これから 私は私の人生を 

父のためにも母のためにも

後悔のないように 

この一日一日を 一生懸命ていねいに生きて行こう

と決心しました

 

親不孝娘は

最後まで親不孝のまま きっと 看取ってやることもできません

父にも母にも 姉弟にも

詫びるしかない自分のふがいなさを 一生 肝に銘じて

これからの力とできるように

なんとか頑張って生きて行く

 

末期の水を あの夜 前倒しで

楽しく笑って酌み交わした 

あの父の笑顔と 全ての良い言葉を

心に深く刻んで 

一生の宝として

私の生きる時間の最後の その時まで

大切に生きて行く

 

そう考えています